トップへ Site
map
about
ANGELIQUE
Gallery History Speech! BBS Ange・
Freak
Favorite link
My Favorite
救世主と呼ばれた男



 洗礼者ヨハネとの出会い 

なぜイエスが救世主となったのか、を探るのがこのコンテンツです。
イエスが宗教に目覚める過程はこの謎を解くうえで大きなキーワードになるはずですので、飛ばすわけにはいきません。
しかし、イエスが宗教者として説教を説いてまわるまでの経緯は聖書には殆どでてきません。
なので想像を暴走させてイエスの青年期を探ります。


画像提供「World Mission Collection」

ガラリアからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。
彼から洗礼(バプテスマ)を受けるためである。
ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。
「わたしこそあなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへこられたのですか」
しかし、イエスはお答えになった。
「今は止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」


     マタイによる福音書3章13−15節


聖書ではイエスとヨハネの接触が洗礼の画面から始まっているため、、洗礼の場が二人の初対面のように感じてしまい ますが、実はイエスとヨハネには血縁関係があり、年齢もさほど離れていないので、知り合いであったと考える方が自然です。
聖書に書かれている二人の会話も、心が通じ合った者どうしの会話です。

*イエスとヨハネの関係*
イエスの母親マリアとヨハネの母親エリサベトが姉妹なので、イエスとヨハネは従兄弟同士です。
ヨハネの方が年長で、ヨハネはイエスに洗礼を授ける以前から多くの信奉者を集めていました。

民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないのかと、皆心の中で考えていた。         ルカによる福音書3章15節

と聖書にもあるとおり、ヨハネは救世主と間違われる位の人気者。もちろんイエスはまだ名も知られていない存在です。 ヨハネのような親族にいたら憧れを抱くのはもちろん、考え方、生き方まで影響されるのはごく自然なことでしょうね。

*エッセネ派とヨハネ教団*

ダヴィンチ作 なんだか淫靡なヨハネ

洗礼者ヨハネはもちろんユダヤ教徒だったわけですが、古代ユダヤ教には幾つかの宗派が存在していました。
大多数は富裕階級からなる本流のサドカイ派、それよりやや大衆層のパリサイ派で占めましたが、ヨハネは第三の宗派、エッセネ派に属していたと言われています。
エッセネ派は男性のみで集団生活をし、禁欲を強い、私財を持たず、粗食で生活をする、という厳しい教義を持つ宗派であったとされています。

ヨハネが本当にエッセネ派だったのか、2000年も昔の真偽は分かりませんが、ヨハネが厳しい教義のもとに成長した、というのは彼の 自分ばかりではなく、他人にまで厳しい姿勢に示されているように思います。
洗礼を求めて集ってきた群衆を「蝮の子ら」と呼び、領主ヘロデへの諫言を恐れなかったヨハネ…
イエスは強く生きるヨハネに惹かれるように、自らもエッセネ派に加わったのではないでしょうか。

ヨハネは群集を集め、説教を行う活動的な宣教者でした。ところがエッセネ派は現代の修道僧のように、民と距離をおいて生活をする宗派です。―矛盾ですね。
ヨハネはある時点でエッセネ派から袂を分かち、自らの考えのもと行動をとるようになったのでしょう。
「ヨハネ教団」です。ヨハネがリーダー的な存在でなければ、領主ヘロデも彼の存在など放っておいたはずです。
ヨハネの独立にはもちろんイエスも伴います。
そしてイエスは30歳にして、ヨハネ教団の一員として、ヨハネから洗礼を授かるのです。

もう一度、冒頭のヨハネによる洗礼シーン(マタイによる福音書3章13−15節)を読み返してみてください。
洗礼者ヨハネはこの時、この神聖な瞬間、そばにいたイエスが自らよりも偉大な人物だと気付いたのではないでしょうか。

*ヨハネとの別れ*
この後、洗礼者ヨハネは「サロメ」の戯曲で有名なように、ヘロデ王に斬首されます。
この悲劇をイエスは後に弟子達から知らされています。
つまりヨハネが囚われの身となった時には、イエスは偉大な人物と認められ、弟子を持つまでのリーダー格となっているのです。
また、ヨハネは牢の中から弟子を通して、イエスに
「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」
             マタイによる福音書10章3節
と問うています。
ヨハネはイエスが救世主であるのを意識しているのです。
イエスがヨハネに付き従ったままではこうはなりません。
ヨハネとイエスもまた、ある時点で袂を分かち、各々の道を歩んでいたのです。

イエスの生涯はごく短いです。
おそらくはヨハネがイエスに洗礼を与え、その瞬間イエスが自分よりも偉大なのだとヨハネが感じた瞬間、それが二人の別れとなったのでは ないでしょうか。


ヨハネは確かに救世主を預言した預言者であり、偉大な人の洗礼者でした。
しかし、ヨハネ自身はそうなったことをどの様に感じていたのでしょう。



次回はもう少し、洗礼者としてではない、男ヨハネとしての生き様を追います。




前ページへ         次ページへ


Topへ